パチンコは何処からやってきた?【パチンコの歴史 まとめ #1】
今回はパチンコの歴史まとめ、第一回ということで。
ウォールマシンの登場から、鋼球式パチンコの誕生までの出来事についての記事となります。
ちなみに、Youtubeにこの記事とだいたい同じ内容の動画【パチンコの歴史#1】を投稿しています。
ブログで読むかたは、↓からお楽しみください
【目次】
パチンコの起源
パチンコの起源は、近年までコリントゲームであると言われていました。
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↑こんな感じのゲームです。
家庭用もあるのでやったことがある人もいるかもしれません。
しかし、現在ではその説は否定され、ウォールマシンがルーツであるという説が主流になっています。
コリントゲームは横置き、ウォールマシンは縦置きです。断然、ウォールマシンのほうがパチンコに近いですね。
1920年代前半、アメリカを経由して輸入された5台のウォールマシンから、現代まで続くパチンコの歴史が始まりました。
ウォールマシンは硬貨を入れて玉を打ちだし、入賞口に入ると硬貨が払い出されるというゲーム性の遊技機です。
ウォールマシンは1920年代当時、ヨーロッパを中心に国際的な人気がありました。
イギリス、ドイツ、フランスの三国が様々なデザインの遊技機を製作していたそうです。
輸入されたウォールマシンのうちの1台は、1924年(1923年という記録もあります)に宝塚新温泉の遊技場に設置されていました。
宝塚というワードでピンと来る人もいるかもしれませんが、宝塚新温泉はあの宝塚歌劇団の発祥の地です。
宝塚新温泉は日本初の室内プールを設置するなど、国内有数の娯楽施設でした。
宝塚新温泉の遊技場に突如としてあらわれたウォールマシンは、あっという間に人びとの関心を集めることになります。
当時の遊技場には将棋、囲碁、吹き矢等の遊びしかなかったため、欧州のモダンな遊技機は当時の人びとには輝いて見えたのでしょう。
日本式遊技機の誕生
ウォールマシンはたちまち人気となり、宝塚新温泉には、遊技場開設を志す人や、遊技機製作所の人々が次々と見学にやってきます。
そうして生まれたのが、初の日本製遊技機である『玉遊菓子自動販売機』です。
玉遊菓子自動販売機は、玉を打ちだして入賞口を狙うというゲーム性はウォールマシンと同じでしたが、払い出されるのは硬貨ではなくお菓子でした。
あくまで、子供向けの遊技機としてつくられたものです。
1928年には中山工業所というメーカーが中山式遊戯兼菓子自動販売機を発売。後続の業者も次々と日本製遊技機の開発していきます。
パチンコを広めたのは香具師の人々
※香具師(やし)とは、ネットスラングではなく、現在でいうテキ屋のこと。
当時の遊技機は、主にデパートの屋上や露店に設置されていました。
現在ではお祭りや縁日にしかない露店ですが、当時は普通の日も公園などで営業していました。
露店を営業する香具師の人びとにとって、人気があって持ち運びも簡単な遊技機は扱いやすかったようです。
遊技機の露店営業が始まったのは大阪といわれています。
ちなみに、ウォールマシンを輸入したのも大阪の業者です。
香具師の人たちは、都市部だけでなく、地方での営業もしていました。
大正時代末期から昭和初期の時代、都市部は発展していましたが、農村部などの地方は明治時代と大きく変わらない生活環境でした。
香具師の人びとは、流行の遊びとして地方に遊技機を持ち込み、商売をしていたのです。
スマホはもちろん、テレビもない時代、地方に流行を運ぶ役割の大半を、香具師の人たちが果たしていたと言っても過言ではないでしょう。
パチンコという遊びが日本人に受け入れられる下地をつくったのは香具師の人びとだったと言えますね。
現在も、お祭りの屋台では流行り物を扱ったりしてますよね。
タピオカやチーズハットグの屋台を見て、彼らの流行に対する敏感さに驚いたことがあります。
パチンコの名称
パチンコの名称が各資料で使われるようになったのは1929(昭和4)年から1930年ごろです。
それまでのパチンコの呼び方は地域によってバラバラで、『ガチャン』『ガチャンコ』『パッチン』『パチパチ』などの名称で呼ばれていました。
ちなみに、関東では前者、関西では後者の呼ばれかたをしていたそうです。
ガチャンとガチャンコは、玉を弾くためのレバーの音、パッチンとパチパチは玉が跳ねる音に由来しています。
パチンコという名前に至る過程についてはいくつか説があり
①ガチャン、ガチャンコ、パッチン、パチパチ等の呼称がくっついた。
②石川県金沢市周辺の呼称、パッチンに、方言の『コ』が加わり、パチンコになった。
③兵庫県の海水浴場にできた遊技場の名前が『パチパチ』から派生した。
などがあります。
どの説が正しいのかは、未だにハッキリとしていないそうです。
日本初のパチンコ専門店
1930年(昭和5年)、愛知県名古屋市に日本初のパチンコ専門遊技場が開店しました。
平野はま氏が開業した『平野パチンコ店』です。
この出来事は、パチンコ専門遊技場の開業を警察(当時の愛知県警保安課)が許可した全国初の事例となりました。
名古屋はパチンコの聖地と言われる理由の一つが、日本初のパチンコ店開業の地であることなわけですね。
名古屋には、平野氏の後に続く形で、常設型のパチンコ店が次々と生まれていくことになります。
1銭パチンコと初めての規制
1930年頃のパチンコは『1銭パチンコ』と呼ばれていました。
1銭銅貨を入れて玉を飛ばす、もしくは1銭銅貨そのものを飛ばすパチンコです。
入賞すれば2~3銭のお金が払い出されたそうです。
遊技場には年齢制限もなく、大人も子どももパチンコを打っていました。
ちなみに、当時はアイスキャンデーが1銭でした。アイスを食べるかパチンコをするか、当時の子どもは悩んだことでしょうね。
しかし、1銭パチンコは国からの規制を受けることになります。
賭博性も問題視はされていましたが、1銭パチンコが規制された原因となったのは意外な点でした。
1銭銅貨には天皇家の菊の御紋が入っていたため
『天皇家の御紋の入った硬貨を遊びに使うな』
とお叱りを受けてしまったのです。時代を感じさせる規制理由ですね。
ちなみに、画像の上部にあるのが問題の菊の御紋です。
正確に言うと、十六弁八重表菊(じゅうろくべんやえおもてぎく)という名称。
現在のパチンコ業界でも、なにかと話題になる規制問題ですが、その始まりは約90年前だったということですね。
メダル式パチンコの誕生
1銭パチンコが規制されて間もなく、すぐに新しいパチンコが登場します。
1銭銅貨が真鍮製のメダルに変わっただけの『メダル式パチンコ』です。
『菊の御紋が入ってなけりゃいいんだろ?』
ということです。
規制とのいたちごっこも、こんな昔から始まっていたんですね。
5銭でメダルを5枚借り、増やしたメダルはお金やお菓子、タバコなどに交換できたそうです。
換金禁止と営業差し止め
1936年に、景品として1銭銅貨を提供することが禁止になりました。実質的な換金禁止です。
それと同時に、名古屋や金沢などの一部地域で、パチンコの営業許可が差し止めになりました。
実は、1932年には大阪でパチンコ営業が禁止となっており、全国的な締め付けが徐々に強くなってきていたのです。
露店営業者は場所を変えれば何とかなりましたが、名古屋をはじめとした常設型パチンコ店の営業者は大打撃を受けます。
ちなみに同年、高知でパチンコが大流行し、35店舗もお店が開店しています。
営業禁止を受けた地域の営業者が、高知に移った可能性もありますが、実際のところはわかりません。
鋼球式パチンコ(スチールボール野球器)の誕生
名古屋のパチンコ営業者の一人に、藤井正一氏という人物がいました。
藤井氏は親族の反対を押し切って地域最大規模の大型パチンコ店を営業し、見事成功を収めていました。
しかし、1936年の営業許可差し止めにより、藤井氏のパチンコ店も営業ができなくなってしまいました。
そこで藤井氏は、新しい遊技機の開発を行います。
コリントゲームの、球を入れて球を飛ばし、入賞すると球が出てくる、という仕組みをパチンコに取り入れたのです。
そうしてできたのが、『スチールボール野球器』でした。
スチールボール野球器は鋼球式パチンコとも呼ばれ、後のパチンコのひな型となりました。
現在のパチンコも、玉を上皿に入れて打ち、当たれば玉が出ますもんね。
スチールボール野球器という名称には、藤井氏の狙いがありました。
あえてパチンコというワードを避け、あくまでコリントゲームの一種であると主張しようとしたのです。
申請を受けた警察は『パチンコである』として、藤井氏の申請を却下します。
しかし、藤井氏はあきらめません。
足しげく警察署に通い、営業許可の申請をし続けました。
その後、半ば強引なやり取りもありつつ、藤井氏のスチールボール野球器は正式な営業許可を受けるに至り、鋼球式パチンコは名古屋に定着することになりました。
まとめ
ウォールマシンが輸入される。
日本人業者が日本式遊技機を製作する。
露店営業で遊技機が人々に広まっていき、パチンコという名称が定着する。
愛知県名古屋市にて、全国初のパチンコ専門店が開業する。
1銭パチンコが流行するも、1銭銅貨に天皇家の御紋が入っていたため、規制される。
規制を回避するために、メダル式パチンコが登場。
換金が禁止されると同時に、名古屋を含む一部地域でパチンコの営業が差し止めに。
鋼球式パチンコが登場し、営業を許可される。
次回は戦時中~戦後のパチンコについて、記事にしていきます。
記事の更新は、動画投稿と並行して行う予定です。
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